ふと、死について考えていた日に、人が亡くなった話。

From.自宅

 

まずは、人の死をテーマにこの文章を書くことを許して欲しい。

人の死を自分のネタとして消費するような行為。

死とは、消費されていいような、そんな軽いものではないと思う。

ただ、今日人の死をきっかけに言葉に残すのは、自分の感情において、自分の人生において、とても重いものだと思った。

だから、言葉にする。

 

 

 

 

 

今日は珍しく出社をした。

リリース予定だったサービスがまさかの炎上。

今日中のリリースが難しいとわかり、一旦早めに退社。

 

 

そして、仕事が終わり、スタバで自分のやりたかった作業をしていた。

自分の勉強兼仕事といった感じのこと。

ひと段落し、ふとTwitterを見た。

その時目に入ったのが、「最悪の結末」というトレンド。

なんのことだろうと思ったが、その上にある「セクシー田中さん」という、もう一つのトレンド。

 

 

すごく嫌な予感がした。

結末がなんとなくわかってしまうような気がして、一瞬トレンドを見るのをためらったが、すぐに開いた。

 

そこにあったのは、「死亡」という文字だ。

 

 

 

ここ数日、Twitterの中で(正確には自分が見ているTwitterの中で)話題になっていた、原作と実写化の話題。

 

推しの子でも話にあがっていた原作者と実写化企画側のイザコザが、もろ現実になっているなという感想だった。

 

そして、今日。

作者が亡くなった。

 

 

自分はこの作品を読んだことはないし、ドラマも見ていたわけではない。

別にこの作品に対しても、この作者に対しても、何か感情が湧くかというとそうではない。

 

ただ、うまく言葉にはできないが、頭を殴られたような感覚を覚えた。

 

 

 

実はちょうど今日の昼、死ぬことについて考えていた。

午後出勤で電車を待っていた時、「今ここで誰からか背中を押されて死んだ時、果たしてどう思われるのだろう?」と考えていた。

昨日まで楽しく生きていた人間が、急に死んだ時、みんなはどんなことを思うのだろう。

「心を病んでいた」と思われるのか、「他殺なんじゃないか?」とか思われるのだろうか。

 

 

死というものがとても身近であり、そして誰にもわからないものだと、ちょうど昼間に考えていた。

結局、残された人が想像するしかないものなのかもしれない。

 

このトーンで書くと、自殺を考えているのでは?と思われそうだが、そんなことはない。

ただ、このことを考えていたからこそ、今日の訃報はとてもショックを受けた。

 

 

だから、言葉にしないといけないと思った。

 

いつ自分が死んでもいいように。

自分の親しい人たちが少しでも自分のことを想像できるように。

 

 

p.s.

このトーンで書くとガチで心配する人もいる気がするから、改めて。

僕はめちゃくちゃ元気です。

やりたいことが山ほどあるし、友達から彼氏探してる女の子紹介してもらえそうだし、仕事も大変だけど順調だし。

 

ただ、心配になったら一言、「持ちそう?」とだけ聞いてください。

「大丈夫?」と聞かれると、「大丈夫」と答えてしまいます。

 

ただ、「持ちそう?」という言葉には「持たない」って答えられます。

これは経験上そうです。

自分がかなり辛かった時期に、かけてもらって涙を流してしまった言葉なので。