決断において重要なものは、知識とか経験だけじゃないとぼんやりと思った話。
From. 自宅
今日もブログを書くことができた。
どれだけめんどくさくても書き続けることが地味に大切だったりすると考えると、2日連続で書いているのはとても偉い。
たった100文字でも書くことが大事。
書き続けることで、初めて中身の質にこだわりが生まれると思う。
まずは、自分の考えをちゃんとアウトプットすると言う意味でブログを書く。
最近は意思決定をすることが多い。
会社内、会社外、自分のプライベートな時間、人生設計、いろんなもので意思決定が迫れられる部分が多い。
自分のPJの方向性をどのように進めていくのか、自分の人生でやったほうがいいこと・やらないほうがいいこと。
二者択一を迫られる場面というものが多い。
こういった選択を迫られる状況や、意思決定をすることはとても苦手だ。
できるものならやりたくない。
そう思っていた。
昨日のブログの内容と少し重なるが、自分のことを頭の悪い人間だと思っている。
卑下しているように思われるだろうが、そう思っている。
そんな自分が、何かしら意思を表明し、「決定」をしないといけない。
これがとてつもなく、辛い。
今はまだ、非常な選択は迫られていないが、今後そんな選択をする時が来るかもしれない。
それがとても怖い。
昔の自分であれば、自信を持って意思決定をできるように頭を良くするべきだと考えていた気がする。
いや、今の自分もそうだ。
ただ、結局どれだけ頭が良くなったとしても、どれだけいろんなことを経験したとしても、自分の頭の中に残るのは、「この選択で正しいのか?」という疑問だろう。
そんなことを考えながら色々なことに意思決定をしていたが、繰り返すことで、意思決定の鍵を握るものがぼんやりと見えてきたような気がする。
本当にぼんやりとだが。
責任。
それこそ、意思決定の中で一番重要なものな気がしている。
繰り返し意思決定をしていく中で、この方法が正解と自信を持って言えることはそうそうない。
明らかに違うものは当然あったとしても、正解を引き当てることなんてできるはずがない。
とはいえ、投げやりに意思決定をしたところで何も生まれない。
なら、せめて、その意思決定に対して責任を持つ。
そのスタンスが生まれれば、選択後の思考や行動に変化が生まれ、結果的に良いものをもたらすことが多いのでは?と思うようになった。
当然、頭が良いほうがいい。
正解を引き当てられたほうが良いし、間違いを引かない意思決定ができたほうがいい。
確率が高い方を選ぶ力といったものが本質的には重要なんだろう。
でも、全ては結果でしかわからない。
決断は過程で決まるものではなく、結果のみが示す。
そんな気が、ぼんやりとする。
今、意思決定に不安があるのは当然。
今後も不安が消えることはあまりないだろう。
それでも、覚悟を持って意思を表示して、決断する。
その繰り返しが、きっと自分を強くする。
そう感じる1週間だった。
また明日、たくさん決断するだろう。
1日の決断の回数を増やして、その度に覚悟を決め、責任を持っていく。
厨二病っぽい文章だけど、その気概を忘れずに。
p.s.
読み返すと、勢いで決めればいい、覚悟さえ決めればなんでもいいと思ってそうに見えるな。
それでいうと、決断する前まではちゃんと慎重に調べて考えたほうが圧倒的に良いと思っている。
そして最後、後押しするものが責任を持つ気持ちや覚悟を決めることな気がする。
その後、選択が間違っていたとしても大した問題じゃない。
ほとんどの人にとっての意思決定は対して規模も大きくないし、いくらでもその後の動きで変えられると思う。
仮に間違った結果になったとしても、誠意を見せ、真摯に取り組むことで、次の結果は良くなるとさえ思っている。
そんなことも、一応残しておこう。